光の謎
仏壇
お父さんが死ぬまで仏壇は実家に無かった。
本家でもなんでもないし、
本家自体もよくわからなくなっているから、
先祖代々の仏壇というものを見たことがない。
お父さんが死んだ2時間後には、もう葬儀の打ち合わせをしていた。
「宗派はどちらですか?」
病院で一緒に最後を見届けてくれたお父さんのお兄さんやお姉さん夫婦がいてくれたので、浄土真宗だということが分かった。
告別式の翌日
仏壇を買った。
宗派によって仏壇の中に置く物が変わるようで、
やはりここでも
「宗派はどちらですか?」
質問があった。
浄土真宗は、
上段中央に置くお釈迦者様は木彫りではなく
掛け軸だということを教えてもらった。
この掛け軸には、
お釈迦様が立ち姿で背景にはお釈迦様を中心に放たれる線が何本も書いてある。
色は金。
仏壇が実家に来てから、
毎週帰るたびに手を合わせるが、
この掛け軸を見つめているとなんだか不思議な気持ちになる。
お釈迦様が近づいてくるような感じがするのだ。
金ピカの世界
それはどんな世界なんだろうか??
死後の行方
死んだらどこへ行くのか?
私は死んだことがないから分からないけれど、お父さんが死んでからお父さんはどうなったのが、今何をしているのかが気になる。お父さんが死ぬ前は、死ぬということは無くなるということだと思っていた。でも、実際目の前で息を引き取ったお父さんを見て、どうもそういう感じではなかった。
危篤状態になってからは、寝ているのに瞼を下ろすことができなかったようで、ずっと瞼が開いたまま上の方に黒目があった。目が乾いているんじゃないかと思って、勝手に手で瞼を下ろしてあげたりしたけど、すぐに開いてしまう始末。
心電図の数値が0になった瞬間、黒目が左下へ垂れていったのが印象的だった。私は、無心になって瞼が閉じるように手で押さえた。
お父さんというより、人間離れした形相だった。
怖いとかそういうのは一切なかったけど、
何か不思議で、想像以上の体験だった。
お父さんはどこへ行ったんだろう?
混乱と現実
お父さんが死んで、そろそろ49日になる。
いまだに涙が湧き出てしまう発作のようなものが毎日ある。
何を考えても悲しい。
ガンだと分かった時から覚悟はずっとしてきたけれど、
実際死んでしまうと気持ちの整理がつかない。
生き続けることはガンに苦しむことであって、お父さんの体が耐えきれなくなってしまったから、死というもので解放へと何者かが導いたのかもしれない。
健康寿命が長い人を見ると本当にうらやましい。
本人だけでなく、周りの家族に対してもうらやましく思う。
お父さんの健康寿命は54歳だった。
その後、64歳の誕生日を迎えた4日後に旅立った。
10年で何かを得てくれたのか?
苦しくて辛くて迫り来る死が怖くてどうしようもなかったのではないか?
最後の方は、痛み止めと称して医療用麻薬で眠らされて、
いつ死ぬのか、いつ死んだのか、
分からない状態で旅立った。
別れも言えなかったのは後悔してるかもしれない。。。
じわじわとお父さんの体をむしばんでいったガンという悪魔が今でも恐ろしい。
食べるのがただ好きだったお父さん。
食べる楽しみさえ奪った闘病生活。
家族のことが大好きで、毎日必死に働いたお父さん。
でも、生きることさえも奪ったのがガンだった。
お父さんのいない生活が毎日想像できなくて、
お父さんに会いたい。
お父さんと会話がしたい。
でも、今はもうお骨になっていてお父さんという物体はいない。
たまに、夢でお父さんが出てくる。
でも、話ができない。
話しかけた途端にいつも夢から覚めてしまう。
よぼよぼなおじいちゃんになったお父さんが見たかった。
ずっと私を見守って欲しかった。
どれだけ涙を流せば、私の気持ちは整理できるのだろうか?
まったく見通しが立たない。
第1号
はじめての日記。
「ブログは見に来てもらえる内容にしないと・・・」
って肩に力が入りすぎて、全然更新できていない。
続かないのに辞められないのは、
「いつかブログで稼げるようになりたい!!」
って心のどこかで思っているからだと思う。
やっぱ書く習慣っていうのが大切だというのがある。
だから、このブログではいつもの日常とか考えたりモヤモヤしたりしたことでも、なんでもいいからとにかく書いてみる場所にしようと思う。
あまり書きすぎて個人情報を晒さないように気をつけないといけない。
なんか日記帳に書くような気楽な感じで始めてみようと思う。