わたしの日記

父を亡くした娘の問答空間

形見と自分

お父さんの形見って何だろう?


という疑問が湧いてきた。



形見とは何かを調べてみると・・・・

故人の遺品

とある。


じゃあ、遺品とは何なのかを調べてみる・・・・

故人が遺した物全てを意味するが、
一般的には、遺産と区別して
生前使っていた身の回りのものなどの
財産価値の薄い物



それに当てはまるのは、

靴下である。



入院していた時に使っていた靴下。

まだまだ新しい。

おそらく数回しか履いていないだろう。



おじさんっぽい柄ではなく、
かわいい靴下。


水色と赤色の2セット。



お父さんが亡くなって数日してから、
お母さんがくれた。



「これ、使う?
 お母さんはかないし。
 捨てるのももったいないからさ。」





普段履いても違和感がない。


それから毎日履いている。





少し汚れてきたから洗濯をした。。。。
「この靴下がヨレヨレになって穴が開いて履けなくなったら、
 お父さんの形見は無くなってしまうのだろうか?
 この靴下を使わずに取っておいた方がいいのではないだろうか?」





そんなことを思ったが、
靴下を使わないのは何か違和感を覚える。






財産価値のない故人が残していったもの・・・・





なぜ物だけに執着しているのだろう?




その物が壊れたらどうなるのだろうか?


形見はもう無くなってしまうのか?



形見の解釈を少し変えて、

「思い出のある何か・・・・」
とか、


「思いのこもった何か・・・・」
という解釈にしたらどうか?





物より残していける可能性がある。




「何か」とはなにか?


故人の考え方かもしれない。



もしかしから故人の精神かもしれない。



そもそもそれは志かもしれない。





これを「魂」だと表現することもできる。



◯◯魂

とかって言われることもあるが・・・・。





魂にはもう一つ意味がある。



霊的な魂だ。






私は不思議でたまらないことがある。


子どもが生まれる時は、
「魂が宿る」という意識はなく、


なぜ人が死ぬ時だけ、
「魂が抜ける」だとか、
「魂がさまよう」だとか
意識するのだろうか?






この魂とは一体何を指しているのだろうか??



未だ科学的な証明はされず、
宗教的な説明でしか伝えられていない。












人は何によって構成されているのだろうか?




肉体によって人間が存在するのか?


肉体を支える骨が人間を動かすのか?


それとも考えることを可能にした神経系統か?



それは何からできているのか?

細胞?




分子?


原子?





原子が人間を構成していると仮定して、




どのようにしてお父さんは作られたのか?




祖父と祖母から生まれた。
それは当たり前だ。


父は祖父と祖母の原子を受け継いで生まれたことになる。




この原子を単純に表すとしたら・・・・・


『遺伝子』だ。




遺伝子には、

その人の特徴を決定付ける要素が詰まっている。。。。。



魂は二重構造だと思っていたが・・・


「生まれ変わり」について考えていると、

ふとひらめいてしきりに自分で納得した説がある。





魂は先祖代々から引き継がれていて、


その魂を核として、
周囲をその人の魂で覆った状態を1つの魂として構成し、漂っている・・・・。


という解釈だ。




だとすると、

子孫が増えるうちに

誰がどの魂の核を使うか取り合いになるのではないかと懸念される。





そして、
少子化である以上、


宿れる魂の倍率は高まる一方で、
行き場のない魂はどうしているのだろうか???と心配でならない。




魂を原子だと考えてみると・・・



故人の肉体は火葬される。



焼かれた肉体は、

煙となって
火葬場の煙突を通り、
そして空の一部、空気に一部になる。



目には見えないが、

故人の原子は確かに漂っている。





その原子を魂だとすると、



気体の一部になった魂は、
雨が降ると地面に落ちる。



落ちた魂は、
土に混ざるかもしれない。
水に流されるかもしれない。



それをプランクトンが食べ、
プランクトンを魚や虫が食べ、
魚や虫を鳥が食べ、
鳥を動物が食べて肉体に化しているかもしれない。



途中で糞とともに排出され、
土に還り、
植物の栄養になっているかもしれない。



人間が植物である野菜を食べたり、肉を食べたりと、
体内に何者かの魂を取り入れたとして・・・・・



それが「生まれ変わり」ということになるのだろうか?



縁もゆかりもない他人に宿るほど故人は暇ではない気がしてならない。



故人の関心ごとは
決まって自分の子どもたち、孫たち、それに続く子孫であろう。


魂とは何か?



ここで魂を「遺伝子」だとしよう。



同じ遺伝子を持つのは、
自分の血縁に限定される。

縁もゆかりもない他人に生まれ変わる説は無効だ。



魂の核は先祖代々からの使い回しだとする説も、
遺伝子だとすると納得がいく。


故人そのままの魂を丸ごと引き継ぐものだと考えてしまうと、
次の生命に魂を宿すまでに大行列になってしまうが、
遺伝子のように
代々一部ずつを引き継いていると考えると、
みんなの魂が詰まった遺伝子をこれから宿る命につなげているんだと考えることができる。







「故人の思い」といった精神はその人自身の考え方の癖という見方もあるが、
その癖を構成しているのもやはり遺伝子だ。





夢で見た心霊体験はどう説明するのか?




お父さんが亡くなってから夢で出てきたという詳しい話は今まで投稿してきたが、



あれはお父さんのさまよう魂によるものだったのであろうか??






魂を遺伝子だと考えるにあたって、
亡くなった人の魂がさまようというのは理に反する。




だとすると、
どう考えると合点がいくのか?
















亡くなったら魂が肉体から離れて、
さまよう魂をお釈迦様が浄土へ導いてくれる・・・・・


というのは仏教的な物語であって、



現実問題として、
「魂はさまよわない」のではないか?








そう。


そもそもが「さまよわない」のだ。





魂がさまようものだと思い込んでいるのは、
宗教的に植え付けられた先入観であって、




そもそも

そんなものはない。









だとすると、
なぜ亡くなってから私は心霊体験をしたのか?


という疑問が残る。







私にもともと備わっていた
「遺伝子」
が反応したのではないか?










その遺伝子は私のお母さんからのものではく、
お父さんからのものだとしたら。。。。。









意識をすることのできない、
生まれながらにして備わっていた、
本能とはまた違う、
能力のような
第六感のようなもの。






お父さんの魂は、
私を構成していた遺伝子の一部なのかもしれない。



結局のところ形見とは何か?




お父さんの形見は靴下ではない。



魂だ。




遺伝子だ。




そう。

お父さんから既に受け継いでいた遺伝子なのだ。



私自身がお父さんの形見なんだ。




そう考え始めてから、
お父さんがいつもそばにいてくれてる気がして
不思議と気持ちが明るくなってきたのであった。。。。。。。