わたしの日記

父を亡くした娘の問答空間

涙の期限

お父さんが死んでから、発作のような涙が出る。

ふと頭にお父さんの姿を思い出すだけで涙が出たり、

寝る前に、お父さんの事を考えていて涙が出たり、

霊柩車を見かけると、涙が出たり、

ドラマでベット脇に置かれた心電図を見ると、涙が出たり、

溜め息をすると、涙が出たり、

理由なく、涙がでたりする。



もう数日で49日を迎えるというのに。



毎日涙が出るのだ。




私自身が気持ちの整理ができていないからだと思っていたが、

あまりにも毎日続くので、最近ではお父さんが泣いているのではないかと考えるようになってきた。




お父さんに会えるなら、死にたいとは思わないけど、
霊感のような能力が欲しいとは思うようなった。

お父さんだけに会える霊感。

関係のない霊を見るのは嫌だ。


お父さんが死んだら霊になるっていうのは、生きている人間の願望であって、実際は何も無いのかもしれない。


実際、お父さんは病室で息を引き取って通夜・告別式をして火葬場で骨になった。

私は、言葉では言い表せないほどの悲しみを味わった。

お父さんの病室での様子
葬儀の時の様子
火葬されて仰向けのまま骨になって出てきた様子

記憶にはある。

でも、ハッキリとしたものではない。
もやのかかったフィルターに覆われたレンズで覗いた様子の記憶でしかない。


話をすると同時に涙が出てしまう。
だから、話したくても口を開かないように過ごした。
少しでも涙をだそうもには、どばどばと涙が出てしまうから。

葬儀後は、お父さんの事を深く考えられずにいた。
考えなかったのではない。
考えられないのだ。


違う事をして気を紛らわすという人もいるが、
気を紛らわしても無理のない「違う事」なら可能だという前提条件がある。

よくいうのが、
「仕事をして気を紛らわす」
という人。

それをあたかも万能な方法かのように、他人に勧める。

その人にとって仕事をすると気が紛れるくらいに仕事がその人にとってプラスの方向に働いたというだけであって、

仕事をすればするほどマイナスの方向へ働く人もいることに気づくべきだ。


私は、仕事なんかで気が紛れるほど単純なものではなかった。

お父さんの死と向き合う時間が欲しかった。



葬儀の仕事に関する本を読んだり、
臨終までの様子を描いた本を読んだり、
死後の世界を知るために仏教の本を読んだりした。


ノートに日記を書いて、自分の気持ちの変化を振り返ったり、
カレンダーに閻魔大王などの十王による裁判の日や弁護してくれる十三仏の名前を書いたり、
食べ物の香りがする線香を買いあさって仏壇に並べたり、

それでも気持ちの整理がつかないから、こうやってブログを始めたり、、、




それでも1日のうちのどこかで涙が出る。



どうしたら日常に戻るのだろうか?


そもそもお父さんのいない日常なんてないのだろうか?




いつになったら、この涙が出ない1日を送れるようになるのだろう?