わたしの日記

父を亡くした娘の問答空間

死別と49日

49日って本当の所、どういう意味があるのだろうか?

浄土真宗日蓮宗以外の宗派では、
死後魂がさまよう期間を49日と定めている。

浄土真宗のお父さんが夢に出てくるのは、
魂がさまよっているのとはまた違うことなのだろうか?


そもそもなぜ49日なのだろうか?

1週間を7セット。

1ヶ月と3週間。

これにどんな意味を込められているのだろうか?


仏教は不思議なことばかりだ。

論理的な説明がない限り私は信じることができない。

だから信者にはとうていなれない。

でも、同じように信じることのできない人は沢山いるのではないか?

信じてもいないのに、家族が死ねば坊さんを呼ばずにはいられない。

その後もお坊さん頼みだ。

49日、100日、1年、3年・・・・

追善供養をせずにはいられない。

なかでも49日は追善供養の中で盛大に行うが、

なんで49日は盛大にするのだろうか??



お父さんが死んで50日目の朝、不思議な夢を見た。

場所は病室。

亡くなる前日に移された個室の広い部屋。

お父さんはベットで仰向けになって寝ている。

口には呼吸器。

息だけしている。

病室にはお父さんの呼吸する音だけが響く。

スー

ハー

スー

ハー


その様子を見守るのが、
私とお父さんのお姉さん2人。


なぜかお母さんの姿が見当たらない。

スー

ハー



いよいよダメなのかと思いながら、
悲しむ感情を忘れるほど呆然とするしかなかった。


ベットの横に置いた椅子に座っていられなくなり、
ベットの左側に立ってお父さんの顔をじっと見めた。


「もう抗がん剤で身体ボロボロだもんね。
疲れたよね。
でも、死ぬのは怖いからやるしかないって
前に言ってたよね。
まだ怖いって怯えてるの?
ねえ、お父さん。。。。」


スー

ハー

スー

ハー


瞼が急に動き出した。


白目だった目ん玉がぐるんと動き、黒目が表面に出てきた。

のぞき込んで見ていると、視線が合った。


「え?お父さん?」

するとにこりと笑って口に付けていた呼吸器を外し、
体についたチューブを次々手で引っ張り出した。


????


訳が分からず私は眺めていた。



チューブを外し終えると、ベットから起き、身体を左へ向いて足を床に下ろした。


すると歩き始めたのだ。



照れ臭いけど、そんなこと言ってる場合じゃない気がして私はすかさずお父さんと手をつないだ。



お父さんと手をつないで歩くと、足を踏み出すたびにフワッと身体が浮いて軽くなる。着地をして今度は逆の足で踏み出すとまたフワッと身体が浮いた。

そうやって2人で歩きながら病室を出た。


病室を出ると幅の広い廊下のような場所になった。

そこは処置室のようだ。


フワッ

フワッ

2人で歩きながら処置室を横断していく。


処置室の扉を開けると、
今度はナースステーションに出た。


フワッと身体が浮く力を利用して、
ナースステーションのカウンターの上に2人で立った。


そのまませーので降りる。

私は恐る恐る片足ずつ降りるが、お父さんは両足で思いっきり飛んで楽しそうに着地した。



フワッ

フワッ

ナースステーションの中にある机や書類。

その上をお構いなしに登っては着地してを繰り返す。



書類の上に登っても、
聴診器の上に登っても、
何ひとつ動かない。

お父さんと歩いている途中、お父さんは私のポケットに何かを入れた。

入れたことは気づいていたけれど、
お父さんと歩くのが楽しくてポケットの中を見るのは後回にすることにした。

フワッ

フワッ

フワッ



ナースステーションを横断し終えると、

突き当たりになっていた。

その突き当たりが近くなると、左からお父さんのお姉さん2人の声が聞こえてきた。

どうやらお父さんを呼んでいるようだった。

「なんだー?」と、お父さんはお姉さんの方へ行こうとしたので、
私は「じゃあ、駐車場で待ってるね!」と言って、手を離した。



駐車場は右に曲がった所だったのでナースステーションの突き当たりを右に曲がった。


お父さんと離れた後、
ポケットの中身が気になった。


ポケットに手を入れてみるとお年玉袋が出てきた。

中にいくら入っているかっていうのは、後回しにしようと思い、
お年玉袋を裏にしてみると、
メッセージが書いてあった。


『いつも楽しい人生しょう害をありがどう』



思わずクスッと笑えた。


「まーた、書き間違えてるー。」



「きっと『いつも楽しい人生を生涯ありだとう』って書きたかったんじゃない?」笑



その日はポカポカと暖かく、春のような優しい日差しの穏やかな日だった。。。。。。。








そこで目が覚めた。


夢の中ですっかり忘れていたことがあった。


お父さんはもう死んでいるということだ。



今まで何度かお父さんの夢を見たけど、

夢の中でお父さんが登場すると決まって私は取り乱して夢から覚めていた。




今回はお父さんがこの世にいないことをすっかり忘れて、

自然体でお父さんと手をつないでフワフワ飛びながら歩いていたのだ。




お父さんは遺書を書く暇がないくらい急に容態が悪くなったので、

実際の遺書は存在しない。

けど、夢で見た
『いつも楽しい人生を生涯ありがとう』
というメッセージ。。。。。


もしかして遺言なのではないか?




そしてもう一つ不思議なことに、表情が初めて人間らしかった。

今まで夢にお父さんが出てくる時、

表情がおかしかった。

単一的な表情といえばいいのか、

表情に深みが無かった。

ただ笑ってるだけ・・・・

ただ真剣な表情をしているだけ・・・

ただ必死な表情をしているだけ・・・・



普通大人の表情は、
喜怒哀楽を合わせ持ちつつ、
その時の状況に応じて感情を表に出す。


笑顔だとしてもよく見ると苦笑いだったり、バカにした笑いだったり、同じ笑顔でも心の中での思いによって種類がある。


夢で見るお父さんの表情にはそういった深みがないことに違和感を抱いていた。


お父さんと手をつないでフワフワしながら歩いた今回の夢で初めて
人間らしい表情を見せてくれたのだ。



もう一つ不思議なことがあった。

夢の中で初めてお父さんと会話ができたのだ。

会話というより一方的に
「じゃあ、駐車場で待ってるね!」
と言っただけだったが、

お父さんの手をつないで歩いただけで、
会話をしたような気になれた。


お年玉袋の裏のメッセージをもらえただけで
会話をしたような気になれた。



死んで別れてしまうのは、
死んでしまった日ではなく、
告別式後でもなく、
仰向けになったまま火葬場で焼かれて骨になった時でもなく、
49日なのではないか・・・・・・・?



そう思わずにはいられないほど、
リアルな夢で50日目の朝を迎えたのである。


これが本当の意味でのお父さんとの別れなんだな・・・・。



そう思った瞬間、

涙があふれて止まらなくなってしまった。